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あがり症

人前で何かをするとき、多かれ少なかれ、どんな人でもあがるものです。
たとえば茶道のお点前を考えてみましょう。

他人の視線を感じながら、一定の所作をするのは大変困難です。だからこそ、上手になるために長い間、修練を積むのだとも言えます。他人の視線を浴びながら行なう活動で普通に多くの人が経験するのは、人前でするスピーチでしょう。学校ならクラスメートを前にして研究発表をする、社会人なら会社などで上司や同僚の前で報告をするなど、社会生活を送る上で、スピーチはついて回ります。人前で話すことに何の困難も感じない人もいるのですが、大半の人にとっては確かにいやなものです。あがって当然とも言えます。

ただそのあがり方の程度が問題になります。

声がうわずる、何を話すのか忘れてしまう、途中でつまってしまい前へ進めなくなる、動悸がする、いくら場数を踏んでも上達しない、準備をしてもやはりうまくしゃべらないなどの場合には、やはりあがり症と言うべきでしょう。しかもあがり症が当人にとって苦しいことが、他人には理解されないことがいっそう苦痛をかきたてるといえます。

またそのことにより本来の実力や人間性のすぐれた面が隠れてしまうのは当人にとってもまた周囲の人にとっても大きな損失になります。希望と言えるのは薬物療法と精神療法で改善する点です。適した薬を定期的にのみ、同時に認知行動療法を受け続けることで、徐々に改善していきます。そうして以前とは見違えるような人になっていきます。先延ばししないで、医療機関を訪れることが大切です。

社会不安障害

人は成長するにつれてより大きな集団の中へと入っていきます。最初は家族中心から始まり、やがて保育園や幼稚園をへて、小学校・中学校と続く義務教育へと進んでいきます。そのたびに以前よりも大きな集団へと移っていくことになります。

家族中心の生活のときからすでに社会恐怖の芽を育ち始めるのです。
小学校から先の集団生活の中ではどうしても他人と自分の比較を避けられません。自他を比較しながら優劣の感情や失敗を恐れる気持ちをいだくようになります。

このように集団生活、いいかえれば社会生活は緊張を強いられるのですけれども、集団生活の中にいることで得られる安心感や競争心や向上心もまた不可欠なものと言えます。

集団生活はつらくもあり、また楽しくもありと言えましょう。

心のバランスを保ち、つらいことに耐え、楽しいことを楽しいと感じるのが適応した社会人なのですが、社会恐怖の方向へと傾きすぎると、つらいと感じることの方が多くなります。人前で失敗する自分を許すことができないことは苦しいことです。その結果、失敗の可能性のある行動や場面を知らず知らず避けることになりがちです。

しかし考えてみれば、どんな人にも社会恐怖の感情があります。だからと言って避けてばかりいないで、立ち向かう、恥をかく自分を愛することができるようになることが、まさに人生の試練に耐えることが、修行としての人生なのではないでしょうか?

苦手な場面を避けるように生活していくのは一つの対処法ですけれども、時間がたってから後悔する人が多いのです。なんであのときもっと自分を押し出せなかったのだろうと。

社会恐怖とは対人恐怖、あがり症、赤面恐怖、視線恐怖などを含んだ病名です。

人口の約8%と考えられています。家族や親しい人とは平気で話ができますが、人前では極度の緊張や不安を感じ、そういう場面を回避するようになります。ベースにあるのは、恥をかいたらどうしよう、失敗したらどうしよう、変な人だと思われたらどうしようといった心配が大きすぎるために、不安・緊張とともに、動悸、発汗、ふるえ、赤面などの身体症状が現れることになります。

治療

時間をかけて経験を積むことが根本的な解決になります。しかしいずれよくなるというだけの時間を待てないことが起きるのがこれまた人生です。
そのようなときには、医師の下に訪れ、助言と薬物を利用するのが近道でしょう。

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